1882年(明治15年)(明治15)年5月に嘉納治五郎によって創設され、1909年(明治42年)に財団法人となり、段位の発行、大会開催、講習会、機関誌の発行、書籍の刊行など柔道普及のための諸活動を行っている。
特に機関誌は1898(明治31)年に「国士」として刊行を開始してから、「柔道」「有効乃活動」「大勢」「柔道界」「作興」「柔道」として継続して現在まで刊行されている。
最初の道場は東京下谷北稲荷町の永昌寺であるが、その後、南神保町、上二番町、富士見町、本郷真砂町、下富坂などに移転している。現在の所在地は東京都文京区春日1-16-30。また大阪にも支部がある(「講道館大阪国際柔道センター」大阪市城東区永田4-15-11)。
初代館長は嘉納治五郎(1882-1938)、第2代館長は南郷次郎(海軍少将、嘉納治五郎の甥 1938-1946)、第3代館長は嘉納履正(1946-1980)、第4代館長は嘉納行光(1980-2009)(嘉納治五郎の孫で「全日本柔道連盟」会長も兼務)と、嘉納家の人物が代々継承してきたが、高齢などにより2009年4月に退任し、名誉館長となった。
第5代館長には上村春樹で、嘉納家以外で初めて就任した。第21回夏季オリンピックモントリオール大会重量級日本代表で、金メダリストである。ほぼ同時期に全日本柔道連盟会長にも就任した。
体の弱かった嘉納治五郎は当身技・固技に優れた天神真楊流柔術を福田八之助、磯正智に学び、後に投げ技中心の起倒流柔術を飯久保恒年に学んだ。それらを独自の理論で整理、体系化を図り、「道」は根本で「術」はその応用である、という考えから「術」ではなく「道」を講ずるところとして、名称を「柔術」から「柔道」と改めた。
柔術の技術伝授の制度をあらためて段級制を敷いたが、段位制は囲碁、将棋から取り入れたとされる。柔道に関する研究は、嘉納治五郎が1932(昭和7)年から講道館医事研究会を組織し医学的課題にも取り組んだ。戦後、研究会は1948(昭和23)年に講道館柔道科学研究会と改称し科学的研究に着手した。研究の成果は講道館柔道科学研究会紀要として刊行され、2009年には12輯目が刊行されている。
世界の柔道の統括団体である国際柔道連盟も、規約第1条で、「嘉納治五郎によって創設された心身の教育システムであり、かつオリンピック種目としても存在するものを柔道と認める」と規定している。初代国際柔道連盟会長は嘉納履正であった。また、嘉納行光第4代館長はアジア柔道連盟会長を務めた。
独自の伝統行事として、館内では、1月に寒稽古を7月に暑中稽古をそれぞれ10日間行っている。2.3.4.5.7.8.9.11.12月は、月例の月次(つきなみ)試合、6.10月には紅白試合が行われている。夏季は夏期講習会二部、一部(形)、女子柔道、少年柔道などが集中して開催されている。
試合については、4月の全日本柔道選手権大会、10月の全日本柔道「形」競技大会、11月の講道館杯全日本柔道体重別選手権大会、12月の嘉納治五郎杯東京国際柔道大会などが全日本柔道連盟との共催で行われている。
講道館の初段に合格すると地方在住者も門人となるが、6段以上の高段者に限っては講道館は名簿を発行している。
戦前・戦中は剣道の修道学院、有信館、空手の松濤館、大日本武徳会の武道専門学校(武専)とともに武道総本山として知られた。GHQにより占領期には制約を受けている。
本館5階に「全日本柔道連盟」事務局が置かれている。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
館外にある嘉納治五郎像、見に行ったことがあります。
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